洲神社の御由緒
「元禄十三年(1700年)護持院隆光大僧正のご尽力により、江戸城中紅葉山に五代将軍綱吉公の御生母桂昌院の守本尊である弁財天(弘法大師作)と稲荷社を祀り洲弁天社と称した。以来当社は江戸の観光名所として栄え、明治の神仏分離の際洲神社と改める。」
現在の御祭神は市杵島比売命で、弁天は摂社に祀られています。
梅は紅白とありますが、あまり大きくありません。
境内には名人竿中の碑があります、釣竿師竿中は落語家初代林家三平の奥様海老名香葉子さんの父親ですが、東京大空襲で亡くなりました。
竿中の名は疎開していて海老名香葉子とともに生き残った兄が継いでいます。